東京地方裁判所 昭和40年(ワ)4638号 判決 1967年9月27日
原告 株式会社フジ・エンタープライゼス
被告 ゼ・ホーム・インシユーランス・コンパニー
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金一一三八万一五六〇円(この点についての訴状の記載は誤記と認める)及び内金四一八万一五六〇円については昭和三八年六月二九日以降右完済まで年六分の、内金七二〇万円については昭和四〇年六月一二日以降右完済まで年五分の、各割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする、との判決ならびに仮執行の宣言を求め、請求原因として次のとおり述べた。
(一) 原告は貿易を業とするものであり、昭和三七年七月頃から米国向輸出品としての電気歯ブラシの依託製造加工を訴外ともえ電機株式会社(以下単に訴外会社という)に継続的に請負わせていた。そして、右契約の内容は、電気歯ブラシの部品になるプラスチツク製の柄とケースおよびゴム製品を原告において調達し、これを右訴外会社に依託加工のため引渡し、訴外会社はこれに自社製品の小型モーター及び光電トランスを加工装置して完成品とし、これを、原告の指図に従つて船積に間に合うようにその指定の場所で原告に引渡すというものであつた。
(二) そして、右契約によると、原告は常時四〇〇万円ないし五〇〇万円相当の部品を訴外会社に引渡し寄託することになるので、これが返還不能に因る損害填補のため、昭和三七年一二月一日被告との間に自らを被保険者として次のような損害保険契約を締結した。
(1) 填補される損害は、原告が被保険利益を有する電気歯ブラシ完成品及びその部品類について生じた損害である。
(2) 填補責任の限度は、運送に伴うあらゆる危険、倉庫工場内における火災、落雷、抜荷または返還のないこと(ノン・デリバリー)によるもので、運送中のものは、トラツク一台鉄道車輛一列車その他輸送具一単位毎に金二〇〇万円、倉庫工場内のものは、訴外会社外五ケ所にある商社について各金五〇〇万円。
(三) ところが、原告はその後引き続き訴外会社に対し前記部品を引渡し寄託して依託加工をさせていたところ、昭和三八年五月五日頃訴外会社は手形の不渡り事故で倒産したので、原告はその倒産の翌日訴外会社に赴いて双方合意の上依託加工の契約を解除してすでに引渡寄託中の部品の返還を求めた。しかしながら、右部品は訴外会社の手許にないという理由で返還を受けることができなかつた。
原告の調査したところに依ると、当時原告が訴外会社に引渡し寄託中の部品は四一八万一五六〇円相当のものであつた。
(四) そして、右損害は前記損害保険契約にもとづいて被告の支払責任のあるものであるから、原告は昭和三八年六月二五日書面をもつて被告に対し右事故発生事由(保険事故及びこれによる損害発生の日は遅くとも同年五月六日である。)を明らかにして保険金の支払請求をした。
しかしながら、被告は同月二九日原告に対し書類不備すなわち損害発生の立証不足を理由に支払拒絶の意思を表示し、その後も、同年七月九日及び同年一一月九日、同年一二月二七日、昭和三九年三月一〇日にそれぞれなされた原告からの支払請求に対して、いずれも書類不備であるとしてこれが支払を拒絶した。
(五) これよりさき、原告は香港上海銀行横浜支店を取引銀行として本件電気歯ブラシの船積の都度右銀行に対し同行からの借入金の返済をすると共に改めて同行から金五〇〇万円程度の融資を受け事業運営の資金にあてていたのであるが、被告が前記事故にもとづく被保険金の支払をしなかつたことに因り原告は右銀行との間の前記のような運営資金借替え操作をすることもできなくなり、資金枯渇の結果、昭和三八年七月手形不渡り事故を起しついに倒産するの止むなきに至つた。
(六) そして、右倒産に因り従前の事業継続不能となり、毎月六〇万円余の得べかりし利益(昭和三七年一〇月一九日から昭和三八年一二月一七日まで月額平均六〇二万六七六九円の売上実績の一割を純利益として算出)を喪失した。
したがつて、原告は被告の前記保険金支払債務の不履行に因り蒙つた損害の賠償として、原告が被告に対し保険金の支払請求をした昭和三八年六月二五日から一年間毎月金六〇万円の割合による損害金合計七二〇万円の支払を求める。
(七) よつて、以上合計一一三八万一五六〇円及び内金四一八万一五六〇円については昭和三八年六月二九日以降完済まで年六分の、内金七二〇万円については本件訴状送達日の翌日である昭和四〇年六月一二日以降完済まで年五分の各割合に依る損害金の支払を求める。
(八) かりに、以上による原告の請求が理由ないとすれば、原告は以下述べる請求原因事実にもとづいて、予備的に、被告は原告に対し、金四一八万一五六〇円を支払えとの判決を求める。その理由は、
さきに(二)において述べた通り、原告は被告と前記損害保険契約を締結したのであるが、右はその事前に被告の横浜支店長クルーレンに対して本件部品の加工依託に伴つて生ずる損害を填補できるような保険があるかどうかを相談したところ、右クルーレンは「本件保険約款があるからこの契約を結んでおけば将来損失が生じたときは、その損失を填補することができる。」と述べたので、原告は本件保険契約を締結したのであるが、もし被告の主張するように、原告の損失が右保険契約では填補されないものだとすれば、原告は、被告の被用者である前記クルーレンの誤つた保険条項の説明を信じた結果、訴外会社と依託加工契約をしこれによつて前記のように返還不能の部品代金相当の四一八万一五六〇円の損害を蒙つたのであるから、被告は原告に対し民法七一五条に依り右四一八万一五六〇円の損害を賠償する責任がある。
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として次のように述べた。
(1) 原告主張請求原因事実中、原告が貿易業者であること、昭和三七年一二月一日原被告間に原告主張の内容(但しノン・デリバリーが原告主張のような返還のないことを意味するとの点は除く)損害保険契約の締結されたこと及び昭和三八年六月二五日原告から書面をもつて保険金支払請求を受けたことはいずれもこれを認めるが、その余の事実はすべて争う。
(2) かりに、原告主張の保険金支払請求権が生じたとしても、商法六六三条に依れば、右の権利は二年の時効期間の経過により消滅するのであるから、原告主張の保険事故及びこれに因る損害発生の日である昭和三八年五月六日から二年の期間の経過に依り本訴提起(昭和四〇年六月三日)前にその保険金支払請求権はすでに消滅している。
(3) なお、原被告間の本件保険契約の内容は次のようなものである。
本件保険契約の目的は原告所有の商品である電気歯ブラシの部品及びその完成品について、それが依託加工され船積輸出されるまでの間の危険を担保するもので、その危険が運送中に発生した場合と、倉庫ないし組立工場において起つた場合の二つの場合に分けて担保する方法を採つている。そして、本件保険契約においてノン・デリバリーというのは、原告の主張するように単なる返還のないということを意味するのではなく、商品の運送中に限つて起り得る保険事故の形態であつて、商品が倉庫内または工場内に静止している場合には商品の運送がないのであるから、ノン・デリバリーすなわち不着ということは起り得ないのであり、原告の主張によれば、原告はただ訴外会社から商品の返還をうけることができなかつたというだけのことであり、その原因は右主張からみて不明(被告の調査に依ると、訴外会社がその倒産直後に勝手に他に売却したか、もしくは倒産前に原告から訴外会社に売り渡されていたもののようである。)であるが、いずれにしても、運送中惹起した事故ではないのであるから、ノン・デリバリーに該当しない。したがつて原告の主張は理由がない。
(4) 原告主張(七)の予備的請求原因の追加による訴の変更(追加変更)は、民事訴訟法二三二条からみると、請求の基礎を変更するものであるから許されない。
かりに、右追加的変更が許されるとしても、原告が本訴において訴の変更にかんする準備書面(昭和四一年九月二七日付)を裁判所に提出したのは昭和四一年九月二七日であるから、原告主張の損害発生の日である昭和三八年五月六日からみてすでに三年の時効期間の経過により、その主張の不法行為に因る損害賠償請求権はすでに消滅している。
原告訴訟代理人は、被告の右主張に対し次のとおり述べた。
(1) 保険事故が発生した場合、被保険者は保険金の支払を得るために所定の請求手続をなし、これに対し保険会社が右請求に係る損害の有無及び範囲を調査した後にはじめて支払保険金額が確定され、具体的な保険金支払義務が発生するのであるから、右のように保険金額が確定しまたはすくなくとも右支払請求後保険金額が確定し得べき一定の期間(特約のあるときはこれにより、特約のないときは条理上相当の期間)が経過した後から消滅時効が進行するものといわなければならない。
これを本件についてみると、さきに請求原因(四)において述べたように、保険事故による損害発生後、原告は相当の期間内に保険金の支払請求をしたのに拘らず、被告は書類不備すなわち損害発生の立証不足を理由にこれが支払を拒絶したのであるから、保険金支払義務はいまだ現実に発生していないかもしくは原告の請求後相当期間経過後(原告の本訴提起から逆算して二年内)から消滅時効は進行を開始したものというべきである。
かりに、被告の主張するように、保険事故による損害発生の時から消滅時効が進行を始めるとしても、その二年の消滅時効完成前である昭和三八年一二月二四日、被告は原告に対し「当社は、真実にもとづき提出された書類が、損害及びその損害が保険証券により担保されていることを立証するに充分であれば、支払を行うに吝かではありません。」と答えて、債務の存在を認め立証を条件に支払意思を表示したのであるから、右は時効中断事由としての債務の承認に該当する。
(2) 本件保険契約の包括予定保険証券記載の約款第九項に依ると、本件契約における保険事故は、「本証券に添付されている協会積荷約款(全危険)の通り、運送に伴うあらゆる危険、倉庫内および商品組立工場内、火災、落雷拡大担保責任条項中の危険、盗難、抜荷またはノン・デリバリー」となつているのであるから、右記載からすると、被告は原告に対し、原告の手許を離れた商品が訴外会社で組立てられて原告に返送されてくるまでの過程において生じた損害のすべてを填補することを約したものということができる。したがつて、本件保険事故による損害についても被告は填補の責任がある。
(3) 予備的請求原因である不法行為に因る損害賠償請求権について、原告が損害の発生を知つたことになるのは、原告の本位的請求である保険金支払請求が裁判所において否定的に判断され、これが確定したとき、ということになるから、三年の短期時効は未だ進行を始めていないし、また二〇年の時効もいまだ完成していない。
証拠<省略>
理由
(一) 昭和三七年一二月一日原告と被告との間に原告がその請求原因(二)において主張するような内容(たゞし、その契約条項第九項の填補条件にかんする条項中のノン・デリバリーがいかなる意味を有するかの点については、当事者間に争いがあるのでしばらく措く。)の損害保険契約を締結した事実及び原告が昭和三八年六月二五日被告に対し書面をもつて、右契約にもとづき、被保険利益について契約所定の保険事故が発生し、損害の生じたことを理由として、保険金支払請求をしたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二号証の一、二、同第三号証と弁論の全趣旨に依れば、その後原告は昭和三八年一一月三〇日被告に対し重ねて保険金支払請求をしたところ、被告はこれに対し同年一二月二四日到達の書面で、原告と訴外会社との間の契約書もなく、また、原告が訴外会社を警察署に告訴した結果についての報告もないからその警察署の調書を送るよう督促するとともに、「真実にもとづき提出された書類が、損害及びその損害が保険証券により担保されていることを立証するに充分であれば、支払を行うに吝かではありません。」として回答したことが認められ、さらに成立に争いのない甲第四号証の一、二、同第五号証及び当裁判所に記録上明らかなところに依ると、その後同年一二月二八日原告から被告に対し前同様保険金支払請求があり、これに対し被告から昭和三九年一月一三日頃前記昭和三八年一二月二四日の回答と同様の回答があつたこと、そして、その後昭和四〇年六月三日本訴が提起されたことが明らかである。
そして、原告の主張自体によると、その主張の保険事故による損害の発生したのは遅くとも昭和三八年五月六日であるというのであり、しかも前記昭和三八年一二月二四日の被告の回答は原告主張のように時効中断事由としての債務の承認にあたるとは到底認められないことからすると、かりに、さきに判断を留保した契約条項第九項の填補条件にかんする条項中のノン・デリバリーの意味するところが、原告主張のようなものであつたとしても、原告の本訴請求にかかる保険金支払請求権は、昭和四〇年五月六日の終了により時効によつて消滅したものといわなければならない。もつとも、原告は、保険契約に因る保険金支払請求権の消滅時効の起算点について、これと異なる見解を主張しており、損害保険契約に依り保険金の支払を請求する者は、保険者の負担した危険の発生を保険者に通知すると共に、その蒙つた損害が保険者の負担した危険の発生によるものであること及びその損害額を明らかにするために、保険者の要求する約款所定の書類を提出して保険金の支払を請求し、保険者はその請求のあつた日から約款所定の期間を経過した後に保険金を支払う、というのが通常保険約款に定められているところであるが、右の手続は、損害保険契約において被保険事故発生に伴い生ずる損害填補のため保険者の支払う保険金は、当事者の主観的立場においてはともかく、客観的にはそれのもつ損害填補という目的からみて、その額は損害発生時のそれにより、損害発生と同時に支払わなければならないものであるのに拘らず、他方その額の算定については、実際に生じた損害額及び約定保険金額の範囲内においてしかも約定保険金額と保険価額との割合をも考慮して定めなければならないという要請のあるところから、その額の算定を、現実の保険金支払請求を端緒とし約款所定の手続に従つた当事者間の事後的協議に委ねたものにすぎないとみるのが相当であり、請求後約款所定の期間を経過した後に支払うという条項も、前述の本来的履行期を、現実に約款所定の方式にしたがつた保険金支払請求のあつたときはこの時から一定の期間だけ延期するということを、あらかじめ定めたものであると解すべきであるから、全く保険金支払請求のない場合及び約款所定の方式に従つたそれのない場合には、損害保険契約による保険金支払請求権の消滅時効は保険事故に因る損害発生の時から進行を始めると解するのが相当である。
したがつて、右の手続が存在するからといつて、一般的に損害保険金支払請求権を行使し得る時すなわちその消滅時効の起算点を、原告主張のように、または、支払請求をした時あるいはこれを請求し得べき時もしくは右支払猶予期間経過後、というように解するいわれはない。したがつて、右の点についての原告の主張は当裁判所の採用できないところである。
以上のように、保険金の支払を求める原告の請求は失当であり、また、右保険金支払債務の不履行を理由とする損害賠償請求(請求原因事実(五))も、保険金支払請求権が右のとおり時効に因り消滅するにいたつた以上、民法一四四条に照してその余の判断をまたず失当として排斥すべきこととなる。
(二) 次に、原告がその請求原因(七)において主張する予備的な訴の追加的変更についてみるのに、その主張と前記保険金支払請求及びその不履行に因る損害賠償請求とは、それぞれの主張についての請求の基礎が同一であるとは認められないので右(七)による訴の変更は許されないものとして却下を免れない。
(三) 以上の次第であるから、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のように判決する。
(裁判官 安藤覚)